西本幸雄氏は大毎、阪急、近鉄で通算8度のリーグ優勝を成し遂げた名監督で、日本のプロ野球に多大な貢献をした人物の1人です。1963年から監督をつとめた阪急ブレーブスでは、チームの強化に5年の歳月を要しましたが、就任5年目に念願のリーグ優勝を果たしました。
その後、チームは強豪チームに生まれ変わり、彼が監督を退く昭和48年までに5度のリーグ優勝をしますが、日本シリーズではこの当時無敵の強さを誇った巨人にすべて敗れ、日本一にはなれませんでした。
また、阪急の監督退任のよく1974年からは、同じ関西の本拠地を置く近鉄の監督に就任し、こちらでも弱小チームの立て直しに数年を要しましたが、ついに昭和54年にチームを球団創設以来初のリーグ優勝に導きました。
一度も日本一になれませんでしたが、プロ野球という世界で8回もリーグ優勝に導いた彼の監督としての手腕は誠に見事であったということが出来ます。昭和の終わりには阪神からも監督就任の打診がありましたが、高齢を理由に断っています。