仰木彬氏は福岡県出身の元プロ野球選手、監督です。1954年に西鉄ライオンズに入団しプロ野球選手となりました。当初はピッチャーでしたが、1年目の春季キャンプで二塁手に転向しました。
1年目からレギュラーに定着し、地味ではあったもののつなぎの打者として活躍しました。1967年に現役を引退し、翌年から2年間は西鉄ライオンズでコーチを務めました。1970年から近鉄のコーチに就任し、1987年には近鉄の監督に就任しました。
当時パリーグでは西武ライオンズが常勝軍団としての地位を確立していましたが、その西武のライバル球団となる好成績を残し、在任5年間ですべてAクラスの成績を残し、1回のリーグ優勝を果たしました。その後、1994年から2001年までオリックスブルーウェーブの監督を務めました。
在任8年間で2度のリーグ優勝を果たし、イチロー選手や田口荘選手など後に大リーガーとなる大物選手を育て上げました。
2005年にはもう一度オリックスバファローズの監督に就任しましたが4位の成績に終わり、1年で退任しました。 監督として合計14シーズンを過ごしましたがBクラスになったのが3度だけという、堅実な名監督でした。